入手困難となっていた
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- tori kudoのあたまのなかこの60日 -
11月12日(土)午後4時半より久万美術館の坪内晃幸展にて工藤冬里さんのパフォーマンスがあります。おひまな方は読んでください。とっても興味深いです。これを読んでから12日に来られたらいいと思います。
具体宣言と坪内さんを音楽にするとどうなるのか
50年代の具体美術宣言によって、坪内さんは、「痕跡が残された場としての物質」という基本路線を定める。かれはそのまま最後までそれだけだった。だから還元的な静謐は似ているものの、70年前後のもの派のドグマとしての「世界観」を提示するにはことにはならなくて、それはいつもストリートやスーパーマーケットの表層の空気感をそのまま提示しているような感じである。カミュとハイデガーの違いのようなものが、かれと「もの派」を隔てている。さらに公務員としての経済基盤によるものなのか、美術史の文脈から外れた一回限りの行為によって記憶されるアナーキーとも一見無縁であるように見える。ただかれと深く付き合った人々の話を沢山聞いたわけではないので、ほんとうのところはどうだかわからない。ぼくにとっては、かれの観照的な態度はいつも「庄屋」的だったのだ。(かれの砥部町川登の本家は保存されてすっかり町おこしの拠点になり、砥部中で一緒だった焼物屋の泰山君の娘とかによってよくアート・イヴェントが行われている模様である。)
庄屋的とはひとりだけ「死刑よりも寧ろ刑務所を廃止せよ」というような身体刑の時代のエピステーメーを生きているということである。農地解放で没落したブルジョワであるような出自が(アートにおいても)啓蒙や軍隊化を嫌うのは自然な成り行きであった。
坪内さんはカミュから出発した。「ペスト」で描かれる例外状況が実はありふれた路上にあるということ、路上の目線から政治と倫理を捉える方法は、唐突かもしれないが、フーコーが関わった「GIP」(監獄情報グループ)での自分を消去して聞き取りに徹する反啓蒙主義の実践や、卑近な例では村上春樹のサリン被害者からの聞き取りの手際を思い出させる。いずれも声高に近代といった仮想敵を連呼する体のものではない。美術においても、自虐とも言えるハイデガーの受け身が示す極北への身振りが幅を利かせる中で、坪内さんには、無名性を主張するがゆえの喧しさといった背反がなく、むしろ時代が無名性というキーワードに至るまでの不可避性の結構を示す使命感とでもいうような、庄屋的でフーリエ的な倒錯した啓蒙意識があったのではないか。かれがいつも同じ毛玉だらけの多色のセーターを着て村松画廊に座っていた姿を思い出す。そのセーターを編んだ人をぼくは知っている。その雑多な色彩で出来た毛糸を着続けることが40のシリーズのディケイドと奇妙に重なり、クールを装うでもなく、熱いようで醒めて見ている、とでもいうような印象を来場者に与えていたのだ。画廊に座って作者とお茶を飲んでいると、瑣末な技術的なエピソードでお茶を濁すしかないことが多いが、坪内さんとは特に、話す領域が見つからなかったのを思い出す。分かっているという前提で向き合うと、何を話すでもなく、ここは流れて曲がったね、とか、今年は白っぽいね、現像はまだ同じやり方?とか、阿呆のようなぼそぼそとした会話を続けるしかなかった。その苦痛は、奇妙にシジフォスを思わせた。地方にいる坪内さんが河原温的なものに参入してしまうことはその時代博打だった。周りが不安になるくらいがいいのだ。現に40のオブセッションはこうして回顧展のかたちになったのだから。ぼくらはもっと、削ぎ落とすべきなのだ。
具体の所為で精神を病んだ田中敦子のカセットテープのような、円と繋がろうとする線で構成された平面作品は、具体脱退後40年以上に亘って持続したが(金山明との合作の円の内部の線がとくに悲しい。吉田稔郎のロープ作品の円の内部の充満と比べると特に。森内敬子の円と線は楽観的だ・・)、坪内さんも同じ作業を持続させた人だった。(吉原治良の禅画もどきの円は誰とも繋がろうとしていない。一番具体宣言から遠ざかったのは皮肉なことに記号や数字に絡めとられた彼だった。フランスのグタイのサイトで彼の円が取り上げられていないのも興味深い。ただいくつかの円の最良の”絵画”は皮肉なことに今でも美しい。)具体再評価の機運が高まった80年代に、田中敦子は「電気服」を再現したが、かれが新居浜などで行った空き缶服のパフォーマンスはあるいは彼女へのオマージュであったかもしれない。
具体の初期の古色に埋もれたパフォーマンス群には、タージマハル旅行団で言えば小池土屋と長井長谷川の資質の違いのようなものによって分かれていくような、うっすらとした色分けの、後の変質を予感させる萌芽があったが、そもそもがアクションではなく物資を捉えかえすというのが宣言の要旨なのだった。坪内さんのアクションのない地味な作品は却って変質しないことで際立ってくる。
2010年にロンドンのギャラリーで、故白髪一雄の奔放な足の作品が季節のドグマに埋もれてひっそりと展示されているのを見た時、その色彩に昭和を感じたが、白髪一雄の持続と坪内さんの持続は、色彩においてではなく、時間の味のようなものにおいて共通しているのではないかと思った。
自身のメールアートについてかれはもっと認知されたがっていた。かれが最も自慢したかったのはそこだった。郵便的であろうとすることによって具体が抜けていくべき道があるはずだった。だが松山では誰もかれを認めることができなかった。それでもかれはネットが波及するまでそのコミュニケーション方式に拘り続けた。嶋本昭三由来のアドレス記載型のメールアートはplanBやアートランドなどのフリースペースの広報に残滓を見ることができるが、80年以降はコンクリート詰めのカセットを作っていた松山のタケチナガコのようなノイジャンと共に成長したのであり、かれと松山の若い世代がリンクするのはまさにそこに於いてである筈だったのだが。
最期は剥かれた段ボールだった。80年代のポストモダン的な軽い書割とは一線を画したかれの段ボール作品は、剥がされたコンクリートの道路と同じ重さを持たされている。40は表面を追うだけだったが、「段ボール」はコンクリートを剥がして瓦礫を投石する革命行為にリンクする。
0年代の平面依存以降、もの派的なものが糾弾されて現行のビエンナーレ的な趨勢に取って代わられて久しい。かれの、売買の種にならない古めかしさはそのことによって逆に印象派の絵画展に匹敵する。
例えば横トリのクリスチャン・マークレーのthe clockにおいては言葉のフレームが時間そのものに置き換えられることによって、音はジョン・ケージ以来の曲面を迎えている。40の標識そのものに向き合おうとする具体的な手続きは、世代的に、写真というメディアの想像力の中でのみ行われたのだが、それは例えばさらに石田尚志的なテクノロジーを使ってなされ得たかもしれないのにと思ってしまう。(神戸ビエンナーレは平気で具体を取り上げており、東京と全く別の時間が流れていた。それは関西ノイズ勢のエグさに繋がる。AUの亀裂もそうした風土的なものに帰される筈だ。)
キャメルの展示には段ボールのほかに油彩絵の具のチューブに釣具を挿したものもあった。絵具そのものへの回帰はまさに具体宣言のコンフォルミストたる証のようだった。
吉原製油社長との出会いがかれを決定づけたわけだが、遠い反響がぼくにもある。吉祥寺のマイナーで始まったレーベルは「ピナコテカ」という名前だったのだ。70年代後期の世代にあってさえ、グタイは日本のキャバレーボルテールだった。
具体宣言によって美と認定された廃墟が今また東北に見られるが、福島に見られる現象はそれとは別のものである。福島以後の表現として強度を持つのは、案外40であるかもしれないのだ。広島長崎福島で日本は消滅したが、それでも40は残っている。大阪のグタイピナコテカ跡が遺跡のように発掘されている現場はそのためのアイロニーであるように思える。
村上三郎は死ぬ二年前にも紙破りをしていたが、それは現東京都知事にきちんとした影響を与えただろうか。赤缶の山崎つる子さんはまだ生きている。正延正俊については結局残るのは絵だと思っていた節があり、嶋本昭三が「先生の言うこと全然聞かへんのです」と言っていて面白い。後期の元永定正や上前智祐は現美でいえばぼくの中学の美術教師だった升田裕康みたいな位置にいる。(元永とゼロの作家ピーネを結びつけるのが今回の神戸の目論見であった。)ちなみに愛媛県美の紀要で坪内さんを取り上げたのは高3の時のぼくの美術の担任でその後県美に移った増田和朗で、それは現在手に入る坪内さんに関する唯一のまとまった論考であり、ぼくの知らなかった90年代の作品が解説されているが、「物に対する慈しみ」といった結論部分がヒューマニズムに裏道を提供していて、実存主義を潜り抜けてきた日本のアンフォルメルにその落とし処かよ、という気もした。だってそれじゃ日曜美術館みたいなもののオチと一緒じゃないか。増田先生によると、40は亡くなる前の2003年まで撮り続けられたという。あの場所はぼくの通っていた高校のすぐ近くであり、交差点のはなまるうどんは此花うどんと名を変えてからあまり流行ってない。
嶋本さんはまだご存命で、母を通したアーティストユニオンとAUの活動で接点がある。ぼくはユニオンハウスという砥部町川登の家でパフォーマンスをしたことがあるからだ。
去年のヨシダミノルのブログ埋葬は鮮やかだった。かれの偉いところは常に若い世代と繋がっていたことだ。息子の省稔君と奥さんのミドリさんと「現代家族」というバンドをやっていて、一緒にライブをしたこともある。その後省稔君はくるりというバンドのメンバーになってしまった。
坪内さんの息子さんも作品を作っていたのを知っているがいまはどうしているだろう。展示には関わらないのだろうか。吉原治良の息子の吉原通雄は興味深い。バンドをやっていて、万博では鉄パイプで音響をやっているし。スペインのマッシモ・バルトリーニの先駆かもしれない。
60年代からの参加者は逆に消えた人が多い。その中で菅野聖子の数式や今中クミ子の渦巻が際立っている。名坂有子や大原紀美子も加えると、ムーブメントの終わりに女性が台頭し、リリカルな衰退の仕方をする例をここにも見ることができるが、ただ、かれらは、そのまま万博に突っ込んだのだ。(参加しなかった坪内さんの炯眼は今も重い。万博を救ったのはダダカンただ独りであった。)
具体の女性たちのことを考えると、白髪富士子のように夫のサポートに徹する生き方を選ぶ人もいて、そうした葛藤がシーン全体のトーンを形作っている。ユトリロの絵はみんな奥さんが描いていたんだぜ、というような極論を酒場で聞くことがあるが、愛媛出身の有元容子さんなどにそうした話題に絞って聞いてみたい気もする。
全体としてみると、やはり田中敦子の最初のベルの作品が物と音そのものに向き合っていて今でも素晴らしい。美術館向きの作品がもてはやされる中、それに対抗するには個人史を引きずったオノ・ヨーコのたとえば今回の横浜トリエンナーレの「DREAM」のような自分の提示の仕方が強さを持つが、田中敦子にはそれと同質の輝きがあると思う。
坪内さんを考えることは工藤寿栄子を考えることでもある。かれの批評はいつも、意味を持たせないことに向かわせようとするものだったので、あらゆる美術館的な作品はやんわりと否定されるしかなかったから、彼女は反戦といった世代的な主題を作品から消すべきかどうか、といった意味性の問題に関していつも放り出された。ぼくにとって坪内さんは松山のブラックホールのようなもので、デッサンなどは目でしていればいい、というかれの持論の所為にするわけではないが、ぼくも石膏デッサンがあまり上達しなかった。工藤寿栄子の作業が具体からAUに至るロック史の中でどのように位置づけられるかは本人を含め案外誰も考えて来なかったことなので、今回の坪内さんの展示はそのことをはっきりさせるものになるのだと思う。誰もやらないことをやるといいながらなんとなくやってしまっているところが案外高知の高崎元尚に似ていたりする。
具体音楽はピエール・シェフェールの1948年の作品に始まる。ピアノで言うなら、ピアノそのものの音を提示すればいいということになる。寒川さんのようにド音に調律したものを弾き、それをバルトリーニのパイプオルガンのように、数本の長さの違う鉄パイプに増幅することは出来るだろうか。ふいごがなければ管全体を共鳴させるのは難しい。アプリを使えば、映像付きの音をサンプリングして、ドラムマシーンのように使うこともできる。具体音楽の具体化は既に市場でなされてしまっている。(ただ、コンクレートの眼目は、映像と音を切り離して「耳を澄ませる」ことにある。それを考えると、iphoneのmadpadというアプリは具体音楽の大衆化を装いながら具体の真逆にある。それが鍵になる気がする。)それをプロジェクターで投射し、空と40を組み合わせた映像やドの音に調律する過程で出る音の映像をそれに混ぜることもできるだろう。 吉原治良ならなんと言うか。
精神と物質というけれど、今は物質には二種類しかない。汚染されているかいないかのどちらかだ。即ち、40の地べたは、今は、汚染されているかそれほどは汚染されていないか、のどちらかでしかあり得ず、それを見る私たちも、汚染されているか、まだそれほど汚染されてはないか、のどちらかでしかない。
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坪内晃幸展は10月1日から始まってしまった。空を見つめる行為は痕跡を残すか。雲は水ではなく宇宙線によって出来るという最近の発見は、雲が地表の惨状を物語るという逆説を用意する。「きみがかなしいから雨が降るんだよ」というセリフはあながち嘘ではない。オープニングのトークが終わって外に出ると、空がダメ出ししている。増田さんや神内さんに泣きゴトを言ってしまった。増田さんには、「宣言」の「対立したまま握手する」というところをよく考えろと言われた。神内さんは、その問題は60年どころかもっと前から棚上げされている、と言った。ヒトの痕跡がアートなら、一線を越えて目の(写メの)痕跡として地べたの反対の空を考えようか。それは蜘蛛のかたちをした地球の磁場だ。ピアノ線に電気を通せば磁場が発生する。それを釣り上げるcatch waveを考える。それが空、our private skyということだ。ヘテロダインのためには高周波発信機が二つ必要だが、そんな金はない。もしも空が地べたの反映なら、わたしたちは空に40を見る。中国あたりのアーティストなら飛行機雲で空に40と書くだろう。
ピエール・シェフェールについての論考がクロアチアの現代美術館の出しているmediartという本で特集されている。知人のBrian Willemsが、indexと signというキーワードを使ってドゥルーズとReiko Kudo名義の「人」「草」「ちりをなめる」の三部作を分析することで具体音楽を説明している。kudosの作品は、indexの中に脱領土化が含まれうるという例証として挙げられている。ピエール・シェフェールの作品と、別の音楽を同時に流すと、綿密に意図的な操作がなされたかのような印象を与えるが、そのことは多くの示唆を含んでいるように思える。つまり、ただピアノを弾くという行為はやはり必要なのではないか、と今日は思っている。
学芸員というのは会期中作家が乗り移ってしまうみたいだ。神内さんに、空に40、という着想を説明しようとして、坪内さんは常に絵の具(のチューブ)、道路、段ボールといった人工物だけを対象にしていましたね、と水を向けると、自然がどうとか言うなら直島に行けばいいのよと言わんばかりの勢いで、自然はいじってもしょうがないと思ったんでしょう、坪内は最後まで画家だったからじゃないですかと言う。40にはまだ宣言と写真が必要だったが段ボールに到るともはや言葉を介さずに直接物質が剥き出しになるところまで行っている、というのが彼女の意見で、だからどうしてもピアノを剥き出しにさせたいらしい。そうなるとやっぱりドの一拍子だろうか。段ボールに焦点を合わせる話をした後、今日はまた振り出しに戻ってしまった。
坪内さんや母や森さんと日振島に行ったのは中学生の時である。大人に見られたくてビールの大瓶を6本飲んだ。そして船から麦藁帽が落ちたので飛び込んだらサメの背鰭がつつつーっと近づいて来た。(なんか夏休みの作文みたいだな。)イカ釣りの灯りを見ながら坪内さんが、こんなきれいな夜の海を見ることは一生の内でもうないだろう、と言ったのは鮮明に覚えている。お爺さんだな、とその時は思った。でも彼はその時40過ぎたくらいで今のぼくより若かったんだ。そしてかれは自然が嫌いなわけじゃなかったんだ、と今思った。集まった人たちは、アートの名の下にただ男女で遊びたかったんだと思う。レイブとか、野外フェスみたいなものだ。(愛媛の人は今でも野村朱鱗洞の結社のような集まり方をする。)海の40、海の皮膚、剥がしたらもう若くはない海の内臓。そして坪内さんは、そろそろそれが本当にエヒメの前衛の最後の遊びになることを予感していたのではないか。坪内さんたちは日振で最後の海の皮膚を剥がそうとしたのだ。共同体は失せた。やっぱり、と戦争体験のPTSDは自答する。そこから段ボールまであと一跳びである。段ボールの皮膚を剥がしても、そこには同じ乾いた素材の干からびた内臓が顕わにされるだけだ。バーコードやいくつかの記号が残ったポップ・アートの骸骨のような実存。(増田さんは嘔吐の新訳に従って正しく「実在」、と発音したが。)
寒川晶子さんと浅草の算数塾で会って話した。ドのチューニングはセント値に従って5段階に分割し、音の干渉を主題にしたのだという。その点について、批評家からはドだけの倍音なしの方が潔かったのではないか、という批判があったという。ぼくもそう思う。それで、ドの純正でやってみたいと思う。それとmadpadを映像と結びつけない形で採用する。だから必要なのは調律用具あるいは調律師、ビデオカメラとプロジェクターとそのコネクターです。madpadは借りられます。
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「ピアノの剥き出し」
・requiem
モノとしてのピアノは木と鉄と(昔なら)象牙に還元されるから、それらの素材を音具として使えば、絵の具のチューブのような次元の表現となる。
・40
地べたとしてのピアノは鍵盤の上を通り過ぎるヒトの指の痕跡として定点観測できる。これまでにそのピアノで弾かれた全ての音を重層的に鳴らすことができれば、それは40と同じ提示法となる。
・段ボール
ピアノの剥き出しは、映像とサウンドを切り離す具体音楽の考え方で表現できるかもしれない。ド音のみの調律や、madpadによるサンプリングの映像と音の組み合わせのずれによって、剥かれた段ボールに向けられる視線の(ノエシスーノエマ)と同じ種類の認知体験となる。
工藤冬里 詩集 「棺」 ¥1300
UNIFY MY HEART CDR ¥1000
RIVER SONGS + IN DER MUSIK CDR ¥1000
AYACOLLETTE w. TORI KUDO & SHINICHI TSUKAMOTO “Jazzy Piano Night” ¥2200
◇ くどうなみお ” LOVE SONGS ” NAMIO KUDO “LOVE SONGS” 8songs ¥1200
くどうなみおのセカンド8曲入り。ラップとピアノ (2010 recorded at Village Hototoguiss)
◇ くどうなみお ”はるのあめ” ¥2300 (2008 recorded at Village Hototoguiss)
ピアノ弾き語り10曲。ヴァイオリンで工藤冬里参加。
REIKO KUDO ”Licking up the Dust” 工藤礼子 ”塵をなめる” ¥2300(込) hyotan-003 (2007.1.24) モア・ミュージックオリジナル特典は、工藤冬里による”Licking up the Dust”CDR! [曲目] 工藤冬里、灰野敬二、玉柳輝樹 ら参加。VILLAGE HOTOTOGUISS録音
1. はるか山に
2. くり
3. 夏の花
4. ねむらないで
5. ちょうちょ
6. びわ
7. 雪の山
サヨコオトナラがやってくる! (by chikyuni39)
たった3人でこれだけの音を作るなんて、この人たちはほんとにほんとにすごいな、っておもいます。
そして3人揃ってのサヨコオトナラのライヴは貴重になりつつあります。
多くの人に観ていただきたいとおもい、期間限定youtubeを作りました。
ビデオに参加して下さった方、この場を借りてお礼を申し上げます。
ではでは、ぜひお越し下さいませ。
2011.9.29.木曜日 午後8時から モア・ミュージックにて。 ¥2500
ご予約 089-932-3344 (モア・ミュージック)
サヨコオトナラ ライヴ 2011.9.29. 木曜日 午後8時より モア・ミュージックにて ¥2500
おなじみの燕coffeeも出ますよ。
島崎智子 ニューアルバム「バカヤロー!」発売記念
インストア・ミニ・ライヴ@ MORE MUSIC
2011.9.4.(sun) 14:00~ 入場無料
燕Coffeeもでます。
島崎智子:ミディ・クリエイティヴより6年間で5枚のソロアルバムを発表しているシンガーソングライター。現在東京を中心に全国各地でライヴ中。ユーモラスで切なくてかなしくてやかましいけれど、最後に笑える突き抜けた歌世界をお楽しみください。松山初です。(吾一)